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「私は自分の夢をデザインします」BO BEDRE 2019年11月号

"Jeg designer mine drømme"



Eero Aarnio氏フィンランドのもっとも有名なデザイナーの一人でありながら、1960年代の巨匠デザイナーの中の一人である。本人やそのカラフルなアニメっぽいデザインから発せられる特別なエネルギーを理解するため、本誌はヘルシンキ郊外にある彼の自宅で彼をインタビューした。


PONY, 1973年デザインされたこの椅子はマンガでよく見られる遊び心がインスピレーションになっている。

BUBBLE CHAIRは1968年から。アクリルで作れたこの椅子は当時代の代表作である。



ヘルシンキの校外。海の風景を広がる斜面にあるグラス張りの白い一階建てはEerio Aarnio氏の自宅。到着すると、まず屋根付きは数台の車が駐車していることが見に入る。ヘルシンキで迎えに来て、ここまでつれてきてくれた、Eero Aarnio氏のビジネスを担当するJoel Roos氏はこれらの車はすべてEero氏本人や家族が所有するものだと説明する。家の玄関ドアに着く前、Eero Aarnio氏がニコニコし手を振りながら出迎えてくれる。彼にハグされ、歓迎の言葉をもらう。家に入るまもなく、フィンランド語や片言の英語を混じって、宇宙のような邸宅にあたるところまで自分のデザインを説明する。家族のメンバーが次から次に顔を出し、挨拶する。フィンランドのご馳走にテーブルを置く。

Eerio氏は私たちを外に連れていく。見せたいものがあるって。テラスを通って海までの階段を降りる。階段の元には木製の小屋がある。中に入る、ここは煙サウナだと分かった。ここは暗い天井が低い、すすの匂いがする空間。しばらくそのまま座ったら、Eerio氏は手を屋根に突っ込んで、興奮しながらこのサウナの換気を自分で設計したと説明する。Joel Roos氏は87歳のEerio氏の精神年齢がとても若いと説明する。Eerio氏と一緒にいると、彼の遊び心がすぐ移る。サウナの外では、彼は私たちが立っているテラスの木製板に小さなハッチに指を指す。そのハッチを開くと、冷えた缶ビールがたくさん入っているバゲツが取り出し、私たちにもくれる。午前10時なのに。

邸宅に戻ると、リビングルームでインタビューを始まる。私たちはソファに腰を掛けると、家族の他のメンバーも集まる。話しがすぐ盛り上がるが、主にフィンランド語で。最初の質問を英語で聞くと、家族は質問の内容について話しあって、そしてEerio氏にその質問をフィンランド語に通訳する。すると、Eerio氏が約15分をかけて答えると、家族が10分を掛けて彼の回答を通訳する。インタビューはずっとそのかたちで行う。記者の私は会話の内容が全く分からないのに、Eerio氏の熱烈なしぐさ、いきいきする目や本人と家族の間に行き来する愛がたっぷりの感情ははっきり伝わってくる。言葉が分からなくても、彼がやっていることや言いたいことは十分理解できる。実は言葉が要らない、言葉で表現できるコンセプトを忘れて、むしろ彼のエネルギーやソフトなライン、蛍光色や彼の特徴であるマンガっぽいデザインに夢中させられるほうがいい。


フィンランドの本物逸品。Eerio Aarnio氏が1993年デザインしたテーブルのParabelや、もう一人の巨匠デザイナー、フィンランド人のEero Saarinen氏がデザインしたTulip Chair。ダイニングルームから外の雪風景は室内の白色のインテリアをよく合っている。

自宅では試作品、下絵、本や写真がいたるまでおいてあるので、好奇心をかき立てる。

EERIO氏はフィンランド語や英語を両方使って、情熱にあふれて語る。

書斎は自宅の中心部にある。Eerio氏はいつも新しいデザインを考え、常に働いている。

若い頃のEERIO氏は1967年のPastil Chairに座る。





1960年代に目立ったデザインでブレークしたEerio Aarnio氏についてすでに多く記事や本が発行された。記者やライターは長年の間、彼がフィンランドのもっとも優れているデザイナー、彼がフィンランドデザインの黄金期を同僚と共に起こした、彼のデザインはその時代の考え方の肖像になった、彼が1960年のモダニズムや美学の本質を具体化であり、彼がポップ·アート運動の代表する、このようなことを書いた。彼はAndy Warhol氏やHugh Hefner氏のような著名人に絶賛され、彼の作品Ball Chair、Pastil Chair やTomatoは多くの雑誌の表紙に映ったし、Stanley Kubrick氏の「2001年宇宙の旅」や「メン·イン·ブラック」のような映画にも登場した。しかし、とてもクリエイティブな人間であるEerio Aarnio氏は自分がデザインした家具が何を象徴するのか、誰がどのもの気に入っているのか、まったく気にしない。彼はものデザイン仕事に手を掛けたのは、アイデアが多いし、家族のためお金を稼ぎたいからだ。

小さい頃、彼が絵を描く才能があると先生はすぐ分かった。彼はディズニーが好きで、至るところでそのキャラクターを描いた。彼が描いた絵を買いたいと先生が言ったら、彼は5フィンランドマークでその絵を先生に売って、得たお金で映画を見にいった。その後、兄と一緒に小さなカウボーイフィギュアを作った。籐を編む技も覚え、籐家具シリーズJuttujakkaraをデザインした。遊び心で様々な素材やフォームを取り組みながら、生産過程をよく理解できた。1960年代で開発された新しい素材をうまく使いこなし、ユニークな

使い方をこなした。あるとき、彼は写真の魅力に引かれて、自分がデザインしたものをアピールするために写真を使った。誰よりも、彼は早い段階で広報活動やマーケティングの重要性を理解した。

Eero氏の駆動力は好奇心や新しいアイデアを実現すること。新しいデザインのアイデアは今でもたくさんある。毎日朝5時半起床し、フルサイズで家具の絵を描く。その後コーヒー一杯を飲み、妻のPirkkoが9時ごろ起きると、彼は「素晴らしいアイデアができた」と彼が言う。毎日このような過ごし方のであれば、二人は1956年結婚した以来、相当の数のデザインが生み出されただろう。

自分のデザインアイデアがどのように生まれるかは説明できないが、自分の頭の中アイデアの生み出しに手伝う100万ぐらいの小さなアシスタントが存在すると彼が言う。これらの小さなヘルパーが物理的な形になって面白いフィギュアとして自宅にディスプレーされている。Eerio氏の頭の中ではそのアシスタントが極めて小さいが、誰でもでも見えるように彼が大きなサイズで再現した。

 時代の精神、インスピレーションの源やデザイン歴史の中の自分の位置についてEerio氏本人に聞く意味があまりないかもしれない。間違いなく彼はデザイン業界のトップデザイナーの一人だが、本人にとって大事なのは自分の中に今でも沸いているアイデアを実現することだ。彼のデザインをみると、遊ぶことや実験すること、新しいフォームや素材を探検することが大事だと思い出させるものです。革新な上質なデザインは外からではなく、内心からくるものだ。このようにEero Arnio氏のデザインは本人の代表すること、つまり陽気、遊び心、カラフル、実験的、子供っぽい、ユニック。彼を型にはまることができないし、本人もそれを望んでいない。彼にとって、世の中が私たちを形作るのではなく、私たちが世の中を形成することだ。最後に、「私は自分の夢をデザインします」と彼が言う。




BALL CHAIR はおそらくEero Aarnioのもっとも有名な椅子だ。撮影よくされた。1960年代や1970年代、アメリカの雑誌Playboyの表紙によく掲載された。これらの表紙の一部の前にいるEero氏·

MUSHROOM 又はフィンランド語でいうJuttujakkaraはEero氏の最も古いデザインの一つ。

小さなフィギュアは、Eero氏によると、オリジナルアイデアの生み出することを手伝う彼の小さなヘルパーである。自分の頭の中は数百万がある。本当はとても小さいが、誰でも見えるようなサイズに拡大したと言った。

Ball Chairの第一歩。Eerio氏が1954年デザイン学校に志願を出したときの絵はソフトな取り巻くかたち。

自宅のインテリアは1980年代を思い出させるが、同時に独自の表現もある。カラフルなエレメントが目立つ白色のキューブのように。





<BO BEDRE 2019年11月号>

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